umentuのブログ

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パワポってやっぱりよくない、というか自分に合わない

パワポって作る側にとってのメリットしかないように思っています。

 

パワポを使うという選択肢のメリットは、発表を聴講する方たちへのメリットというよりもあくまでも「資料」としてのメリットが強いように思っています。

 

私も新卒研修といったものでパワポの作り方というようなものをハンズオンのような形で受講したことがあります。パワポのバージョンによってといったことにこだわりはなく、大概のやりたいことがやりたいようにできます。そして、パワポを使いこなすことで仕事が効率的に働くことも多いとは思います。

 

またその講義では、文字の大きさやインデントの統一などを習いました。「1ページあたりの文字の大きさは揃えなさい」や「インデントの付け方は自動機能を使ってなるべく統一しなさい」といったことです。確かに見る方にとってそれらのことは大事だと思います。文字の大きさがバラバラでは集中できないでしょう。インデントがばらばらでは、どこから読んでいいかわからないでしょう。

 

その後、様々な勉強会などでパワポでの発表を聴講しました。いくつも聞いていくうちに、たまになのですが、ふと、頭の片隅で違和感がよぎることがありました。はっきりとはわかりませんでした。ただ「なんか違うな」という感じでした。

 

最近になってYoutubeなどで数学の講義を視聴したときに気づいたのですが、黒板の板書だとその違和感を感じることがないのです。結局のところ、おそらくパワポでの説明の場合、集中できていないのではないのかな、という結論に至りました。

 

なぜそのような結論にたどり着いたかというと、パワポを使っての説明は、板書の説明に比べて、資料と口頭での説明との間に隙間、隔たりがあるのではないかと思えたのです。おそらくですが、とても素晴らしい板書ととても素晴らしいパワポ資料を比較した場合、直感的にしやすいのはパワポのほうが勝るように思います。

 

しかしながらそれはあくまでも資料としては、です。発表という場を考えると、板書の方には集中を支えてくれる、何かがあるように思えます。ある種の緊張感かも知れません。字が多少乱れていても、段落がおかしなことになっていても、伝わるんです。何度も言いますが、資料としてはパワポの方がいいです。でも、あくまでも資料としては、なんです。くどいですね。すみません。

 

結局のところ、字を揃えることやインデントを正しくするというのは、あくまでもパワポ資料を観る人のためのものであり、発表を観る人のためとは少し違うように感じます。もちろん、字もインデントも揃えたほうがいいです、が。

 

もちろん発表する内容や環境によって左右されるものではあります。ただ、「発表となった->パワポ資料を作らないと」という頭のフローに世の中全体がなりがちになっている用に思えます。板書にかぎらず、聴講者にいい緊張感を与えるような発表方法が、その場その場にあるように思えてならないのです。