umentuのブログ

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難しく考える努力をしてないですか?

おそらく無意識だと思うのですが、とある特定の人と会話をしていて「なんで問題を複雑にしようとしているんじゃないのか?」と思ってしまうことがあります。その特定の人も本当に特定の人ですし、傾向としては女性が多いのではないかなと思います。

 

よくある、「ただ話したいだけで、自分の中では答えが出ているんだろう」とは思います。「聞き上手になれ」という風潮は、そういったことも加味して行動に移すということだとは思いますが、私はまったく聞き上手でないのでそういったことはできません。が、問題を解決したいとは感じます。そのため、問題を分解して、極力本質的に何が足りていないのかを会話の中から探す方向に注力します。

 

ですが、そういった人との会話をしていくと、分解した問題をくっつけて、更に問題を探してきてくっつけてを繰り返し、「あれ、元々3角形くらいの図形だと思ったのに、なにこれ、2543角形?」というようになってしまいます。実際のところは、頭がよくないので、2543角形を2543角形として認識することが出来ずに、「なんの形?」と大きなはてなが浮かんでしまいます。そのため、何も言えなくなってしまいます。

 

聞き上手になれないことをハシゴを使わないくらい高い棚に上げておいていうと、私としては会議の場であってもプレゼンの場であっても会話の場であっても、簡単に話をしたいと思っています。複雑なら分解して話をしたいんです。色々なものを包括して会話することも、あまり得意ではありません。とっさに、何のことを指しているのかが明確に判断することも苦手だからです。

 

もし「どのような形かわからないけど話したい」のであれば、そのように相手に伝えた方がいいように思います。「わかっている細部の部分から話し始めてだんだんわからなくなっていく」よりも、「はじめはわからない」というところからスタートする方が問題が解決するのが早いと思います。理由としては、わからないところのとらえどころが人によって違うからです。解決するという共通認識さえできていれば、わからないところを共有しなくても他の手段で解決してしまうからもしれません。わからないところは本当に答えのないところの可能性もあるからです。

 

要は、「結論ありきで伝える。結論がなければわからないことを伝える。」ということが大事のように思うのです。