見やすさと理解度の間にあるもの
以前、このような記事を書きました。
今、会社のテックブログで機械学習で使う数学を紹介していて、パワポ資料ではなくノートに手書きでまとめています。TeXなどに書き起こそうとも考えたのですが、時間の制約もあることと、TeXにする価値があるのかどうか、というところを考えた時に、手描きのまま載せようと思いました。
パワポの時にも書きましたが、見やすいのはいいことです。見やすさは、直感的な理解に繋がると思います。時間に縛られていることの多いプレゼンや会社での業務には向いています。ですが、これは私だけかもしれませんが、直感的な理解にとどまってしまう、と感じることが多いです。
「手書きは気持ちがこもっている」などというつもりはありませんし、手書きは無駄だと強く信じています。(現に、履歴書を手書きで書いたことがありません。)ですが、理解するというプロセスが必要な場面では、手書きの資料を読み、手書きをすることの方が利益があるように思います。単純な話、手書きのほうが時間がかかるからなのでしょう。手で書くにしろ、手書きの文章を読むにしろ、パワポの資料を読む数倍は時間がかかります。その間に、考える時間が長いだけかもしれません。
パワポは、手書き以上にいわゆる「行間を埋められるだけ」の操作性や機能が開発された時には、本当に手書きが無駄なプロセスとなる日もきるかもしれません。