umentuのブログ

趣味や自学でプログラミングをする上で思ったことを書いていきます。pythonのブログ: http://blog.umentu.work

先輩後輩って邪魔だな、って思ったこと

はじめにお断りしておくと、特定の人事関係の方々への誹謗を書いたものではありません。あくまでも、特に日本ってそういうところがあるよね、と感じたことを書きました。

 

以前、ある人からこのような言葉を耳にしました。

 

「社会人の仕事に比べたらさぁ、学生の頃の受験勉強とかってちょろかったって思わない?」

 

ひとことで言うと、思いません。

 

社会人と呼ばれる人が、なぜ学生の上位にいるような風潮なのか、と最近ふと頭にすることがあります。答えは簡単で、そのほうが社会人にとって都合がいいからだと思います。これは日本特有のものかもしれないし、世界全般でもそうなのかもしれません。でも日本がその傾向が強いようには思います。

 

最近、CIAの「組織を駄目にするマニュアル」というものが取り上げられています。

 

 

少なくとも、私の感じる範囲での日本は、先輩、後輩という関係を強く作ろうとします。元から組織にいた人が先輩、新たに組織に入ってきた人は後輩、です。会社単位でもそうですし、大きく見れば社会という組織でもそのような関係を構築しようとします。これは、社会を構成する上で都合がいいからです。きつい表現をすれば、「学生を受け入れてやる」という姿勢が少なからずあるように思えます。

 

私はエンジニアと呼ばれる職についています。

上で話した「受験勉強云々」は、いわゆるエンジニアではない、人事関係の仕事をしている人から耳にした言葉でした。私が「受験勉強云々」の言葉を聞いた時に直感的に思ったのは、「このことってエンジニアからはあまり聞こえてこない言葉のような気がするな」ということでした。エンジニアは多かれ少なかれ、自分の得意な部分があるものです。そして、自分の得意分野でない分野を得意とする人が必ずと言っていいほど、自分の周りにいます。なので、自分の得意でない分野を軽んじることがあまりないように思えます。ある種の「無知の知」なのかもしれません。「この人はこの分野について詳しい」と感じる機会が多いのです。そのため、学生であっても、自分よりもなにか知っているかもしれない、というところを尊重する傾向にあると思えるのです。少なくとも、私はあります。

 

で、結局何が言いたいの?ということですが、言いたいことは特にありません。しいていうことがあるとすれば、先輩後輩って邪魔だな、ということくらいです。ありきたりな言葉です。でも、邪魔だなって思います。なければどうなるか、はわかりません。ですが、少なくとも相手を受け入れるという視点からすれば、無意味な縦割りのように感じるのです。

 

 

 

 

人の指示を受けるのは苦手だけど、人の影響は受けやすい

また唐突に思ったことを書いてみたいと思った次第です。

自分語りです。

 

以前、病院でADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断テストを受けたところ、「断定はできないが、治療の方法はある」との診断結果をもらったことがあり、症状的にも昔から考えると当てはまるところがあるところか、当てはまることしかなく、「まぁ、そうなんだろうな」と思って別に治療も受けずに生きてきました。多動性はそんなにないですが、注意欠陥はおそらくADHDに該当するでしょう。

(※ちなみに、治療開始するにも半年以上先の予約を取らないと行けない現状のようです。)

 

人の指示を受けるのが苦手です。「こうしなさい、ああしなさい」は絶対ですが、「こうした方がいいよ、ああした方がいいよ」も言われるとつらいことが多いです。おそらく、一種の完璧障害のような部分が働くのでしょう。言われたことを達成しないと、ということが頭から離れないのです。つまり、人の言葉の影響は多大に受けているわけです。しかしながら、完璧に達成することはできずに、時には落ち込んだり、物理的にではないですが自傷したり、してしまうのです。

 

はなから完璧を目指さなければいけない、ということは難しいです。別段かっこいいことでもなく、自分なりで行くしかできないのです。でも、おそらく殆どの人達は言われたことはそれなりの影響を受けながらも自分なりに生きているのだと思います。そのそれなりが難しいと感じるのです。努力してどうこうするというより、そういう考え方のアプローチがそもそもないのです。「言われたことを無視する」ということは性格的にもできないため、「言われたことを必ず守る」という考えにたどり着き、そして「できなかった」というところに行き着くのです。

 

それに加えて、これはADHDのようなことではなく私特有のことかもしれないのですが、「他の人は完璧にやっている」という前提に物事を考えるようになっています。更に、「周りは完璧な人なのだから、自分のやっていることはやってないだけでやれば誰にでもできる」という考えを持っています。そのため、おそらくですが、必要以上に自分のやれていることを低いレベルのことと考えているのかもしれません。そういう体験を幾つもしてきました。

 

でも、自分のやれていることを低いレベルのことと考えることは、悪いことだけではないとも思っています。このブログも当初はプログラミングについて語るつもりで書いていましたが、プログラミングを誰にでもできるようなプロセスを考えることはとても好きです。周りの人よりも少し得意な数学は、正直難しいと思っています。教えきれないと思っています。そこまで理解を深められていない証拠かもしれません。ですが、プログラミングは、誰にでもできるものだと思っています。根拠は・・・難しいですが。なので、そのお手伝いをさせてもらえたら、と思い、このブログを立ち上げたわけです。

 

できるだけ、やりたいようにやれるように努めるのがいいのかもしれませんね。

 

ここでは、連絡先は書きません。

以前、少しこのブログが炎上した時に「結論:俺に聞け」というコメントが書かれてしまい、ひどく傷ついてしまったことが影響しているかもしれません。「周りの人で聞ける人がいなかったら聞いてください」という意味で書いたつもりなのですが。結局、匿名のコメントなどは気にせずに、とはわかっているのですが、つらいところですね。すみません。

過去のブログをみて連絡をくだされば、お助けできることがあればお助けしたいと思っています。今、数学をやっていてプログラミングから手が離れてしまっているため、自分のためではなく私のため、と思って気軽に投げてもらえればと思います。もちろん、答えられないこともあります。

 

パワポってやっぱりよくない、というか自分に合わない

パワポって作る側にとってのメリットしかないように思っています。

 

パワポを使うという選択肢のメリットは、発表を聴講する方たちへのメリットというよりもあくまでも「資料」としてのメリットが強いように思っています。

 

私も新卒研修といったものでパワポの作り方というようなものをハンズオンのような形で受講したことがあります。パワポのバージョンによってといったことにこだわりはなく、大概のやりたいことがやりたいようにできます。そして、パワポを使いこなすことで仕事が効率的に働くことも多いとは思います。

 

またその講義では、文字の大きさやインデントの統一などを習いました。「1ページあたりの文字の大きさは揃えなさい」や「インデントの付け方は自動機能を使ってなるべく統一しなさい」といったことです。確かに見る方にとってそれらのことは大事だと思います。文字の大きさがバラバラでは集中できないでしょう。インデントがばらばらでは、どこから読んでいいかわからないでしょう。

 

その後、様々な勉強会などでパワポでの発表を聴講しました。いくつも聞いていくうちに、たまになのですが、ふと、頭の片隅で違和感がよぎることがありました。はっきりとはわかりませんでした。ただ「なんか違うな」という感じでした。

 

最近になってYoutubeなどで数学の講義を視聴したときに気づいたのですが、黒板の板書だとその違和感を感じることがないのです。結局のところ、おそらくパワポでの説明の場合、集中できていないのではないのかな、という結論に至りました。

 

なぜそのような結論にたどり着いたかというと、パワポを使っての説明は、板書の説明に比べて、資料と口頭での説明との間に隙間、隔たりがあるのではないかと思えたのです。おそらくですが、とても素晴らしい板書ととても素晴らしいパワポ資料を比較した場合、直感的にしやすいのはパワポのほうが勝るように思います。

 

しかしながらそれはあくまでも資料としては、です。発表という場を考えると、板書の方には集中を支えてくれる、何かがあるように思えます。ある種の緊張感かも知れません。字が多少乱れていても、段落がおかしなことになっていても、伝わるんです。何度も言いますが、資料としてはパワポの方がいいです。でも、あくまでも資料としては、なんです。くどいですね。すみません。

 

結局のところ、字を揃えることやインデントを正しくするというのは、あくまでもパワポ資料を観る人のためのものであり、発表を観る人のためとは少し違うように感じます。もちろん、字もインデントも揃えたほうがいいです、が。

 

もちろん発表する内容や環境によって左右されるものではあります。ただ、「発表となった->パワポ資料を作らないと」という頭のフローに世の中全体がなりがちになっている用に思えます。板書にかぎらず、聴講者にいい緊張感を与えるような発表方法が、その場その場にあるように思えてならないのです。

 

 

わかりづらいのはだめだけど、安けりゃいいってもんじゃない

突然だけど、プログラミングとは関係ない携帯料金の話です。

安ければいいってもんじゃない

私は、なんでも安けりゃいいってもんじゃないと思っています。

今、総務省が携帯料金の引き下げが各キャリアに働きかけています。 法律で整備するところではないため、あくまでも「お願い」をする形だとは思います。テレビのニュースでもネットでも「基本料金が高い」「7G制限をやめてほしい」「料金設定がわかりづらい」という意見が目立ちました。「料金設定がわかりづらい」というところには同意しましたが、それ以外の「基本料金が高い」「7G制限をやめてほしい」というところに私は違和感を持ちました。

私は、データセンター事業と呼ばれる、いわゆるサーバーなどを管理する業務を行っている会社に属しています。いわゆるITインフラ事業です。インフラと書くと道路や水道などの物理的なところに目がいくかと思いますが、まぁそのようなものであったりなかったりします。

ただインフラとITインフラに共通するところは「あって当たり前を思われる」だと思っています。道路はあって当たり前、蛇口をひねれば水が出てくるのは当たり前、そのような存在です。サイトでもスマホゲームでもサーバに繋がるのは当たり前、サーバにたどり着くためのネットワークがつながっているのは当たり前、です。

道路は税金で作られています。(今調べたところ水道などはちょっとフクザツなようなので言及しません。)道路は作るだけではなく、修復等の維持が必要です。道路の維持費も税金が使われています。また高速道路などの便利にするための費用も税金が使われています。

携帯会社もインフラ事業です。単に電波を飛ばしているだけでなく、基地局の増設やネットワーク設備、それらの維持が必要です。データのやりとりは水のように目には見えませんが、水のようになんらかのケーブルを通ってやりとりされています。AWSなどのサービスを利用している方であればよくわかると思いますが、データ転送量によって課金されていますよね。

国と民間を一緒くたにするな、といった意見を持つかもしれません。 ですが、インフラという点では同じです。構築、維持、発展が求められます。

日本って安ければいいっていう考えが強くなりすぎたのではないか

少し話は変わります。 私は外国のことはほとんど知りません。 ですが、とある所さんの番組で100円ショップのとある製品を確かドイツ人に見せたところ、

「これが100円?日本人はいいものならきちんと対価を払うことを考えた方がいい。日本人は勤勉すぎるよ。」

と言っていたのを見ました。すごく腑に落ちました。日本には安くていいものがあり、そして更にそれらがどんどん安くなったりいいものになっていったりします。ですが、安くなるにも限界があります。わかりやすいのはものの質が落ちるということでしょうが、人件費の削減やデフレに繋がるといったことにつながらないでしょうか。私はつながると思っています。そんなことはわかっている、という人が多いのかもしれません。そしてそんなのわかってても安いほうがいいと思っているのかもしれません。そのような人たちは、私のような人を見て「そう思ってるんだったらどんどんお布施してろ」と思うのでしょう。

安かろう悪かろう

もちろん私自身も携帯料金が安くなることは嬉しいです。ですが、各キャリアに一斉に値下げをすることで、サービスが低下するのが嫌なんです。みんなが水やガスを使いたいだけ使ったらどうなるか、想像がつくでしょう。携帯も同じなんです。

7G制限をかけているのは、みんな使いたいだけ使ってデータが詰まったら(データも目には見えないですが、詰まるんです)、みんなが使えなくなります。そのために各キャリアは独自のwifiを飛ばして、契約している人たちに使ってもらえるようにしているんです。

基本料金だって各キャリアごとに少しずつ違いますが、基地局の数であったりネットワークの太さであったり、維持費などに違いが出ます。暗に高いと思って一律に引き下げても大丈夫なのでしょうか。私には到底そのようには思えません。

「 あって当たり前」という考え方

「お客様は神様です」という言葉はあくまでもお店側の考え方で、客が「自分が神様だからいうことをきけ」という言葉ではありません。同じように「あって当たり前」と利用者に思ってもらうのは、インフラを提供している側の価値観だと思うのです。それにあぐらをかいて「あって当たり前。安くしろ。」というのは、横暴な客のように私には思えます。しかし、インフラ事業は「あって当たり前」と思われがちなものであることもわかっています。

繰り返しますが、私自身は携帯料金が安くなることは嬉しいです。一月で一回分のカフェ代が浮くでしょう。でも、一回分のカフェ代で携帯が繋がりづらくなるのであれば、一回分のカフェは他のところから捻出します。そう思うんです。

自分のできる範囲内のことをやれる能力

もはやプログラミングとは遠い話になってしまうのですが、なんとなく呆然と考えていたら書いてみたくなりました。

また思いつくままにそのままタイプしてみます。

 

結論からいうと、タイトル通りの能力は自分に持ち合わせていないと感じたところから始まります。結論から始まるというのもおかしな話ですね。

 

自分のできる範囲内のことをやれる能力。何を言っているのかよくわからないかもしれません。 そのままの通り、自分ができる範囲内のことをやる、ただそれだけのことができるかできないかです。もう少し踏み込めば、自分ができる範囲内のことをやって満足できる能力、というべきかもしれません。

 

私自身は、自分ができたことは大したことのないことだと思う傾向にあるようです。 既に出来てしまったのだから、そのことにあまり価値を置けないのです。 そのため、常に何かをしていないと落ち着かない、という気性です。何かしていないとどこかで損をしてるような気持ちになってしまうのです。これは結構疲れます。これくらいでいいや、が効かないのです。本当に疲れるとまぁいいか、となるのですが、そこまでは止まらないのです。

 

スイッチが入っている間は、体調面でも精神面でも調子がいいです。しかし、一度スイッチを抜くとスイッチがどこにあるのかがわからなくなってしまうことがたびたびあります。そのスイッチを探そうとするがあまり、スイッチを探すことに疲れて何もできなくなってしまいます。そうするとしばらくはなにもできないことを悔やみながら、何もしません。

 

そういう状態のことをふと考えた時に、自分できる範囲内のことをやって満足する能力というのは、自分にはない、優れた能力のように思えました。少し考えるとなかなか次に進まず、生産性のないようにも思えてしまうのですが、将棋の大局観のように長い時間で考えると、できるだけ満足できる能力のほうがいいな、と思いました。

 

村上春樹さんは、長編を書くときは調子が良くても悪くても一日に原稿用紙10ページ程度書くと本で読みました。ペースを守るというのも一定の満足を得る方法なのかもしれません。自分にはなかなかむずかしそうですが。

 

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1回本を読む時間で3回(もしくは7回)読んでみる

プログラミングの本はボリューミーでジューシー

プログラミングの本は大体厚いです。500ページとかするものも少なくありません。かといって薄い本だと「内容的に大丈夫かなぁ」などと思います。「入門なら薄くてもいいか」という発想はとても大事だとは思います。でも「気合を入れて厚い本を」という人も多いのではないだろうか。だから書店には厚い本が並んでいるんでしょうね。売れますから。

そしてプログラミングの本はたくさん肉、もしくは肉汁が詰まっていてジューシーなものが多いです。噛もうにも弾力があって疲れるし、肉汁が服に飛び散っておてふきで拭かないといけないこともでてきます。読むのにとても時間も手間もかかるんです。これは本の厚さに比例するものではなく、薄いからといってもビーフジャーキーのようにしばらく噛んでいないと柔らかくならないような本もあります。

読み切るのは本当に大変なんです。
積んでいる本、ありませんか?(I'm afraid to look in the mirror.)

さらっと読んでみる

結論から言うと、読み切っちゃうといいと思います。 肉に例えると、"早食いチャンピオン"のような食べ方です。 味わわずに、とにかく早く、です。

もちろん、本に限らずに大抵のことは前のことを理解していないと新たな理解が得られない、ということが多いです。 この方法では、100%の理解ができないと思われると思いますし、自分でもそう思います。 でもいいんです。どうせ時間を書けて丁寧に読んでも100%理解できる人はそうはいないんですから。
小飼弾さんのような超天才な方であれば、全く別次元です。 極力時間をかけないで一冊読んでみる、というところが一つのキーポイントです。 そのペースは人それぞれです。極力ストレスレスな読むペースを見つけてみてください。

ただし、手元にパソコンを用意して極力コードを打ち込むことはやった方がいいです。 読んで理解できるのはプログラムを組める人たちだけですから。

読み終えたらすぐに読み返してみる

読み終えたらおかわりしてください。
早食いしたら次の皿を持ってきてもらうように、です。

時間を開けても構いませんし、すぐに読み始めても構いません。 とにかく一度読んだら再度読み返してください。 同じコードでももう一度打ちなおしてみてください。 何が書いてあるかは大体は頭に入っているのですから、読むペースははじめよりは上がると思います。

再度読み終えたらまたすぐに読み返してみる

ひどい読み方、と思うかもしれません。 でも、もう一度、もしくはもう何度かは読み返してみてください。

なぜこんな読み方をするのか

なぜこんな読み方をするのかというと、 後にどのようなことをやるのかを知っていると、それより前になぜそのようにやったのかがわかることが結構あるからです。

初めて読み始めたときに、「なんでこんなふうにやるのかな」と考え始めて思考停止してしまうことが多くあると思います。 自分はありました。というか今でもあります。 そんな状態で次に進んでいいのか、と思われるかもしれません。自分もそう思います。 でも、もう一度読み返した時にわかればいいや、という気持ちで次に進んで見るんです。 もう一度読み返せばいいや、と思っていれば意外と次にいけるものです。

3回くらい読み返せばわかるところとわからないところというのが見えてくると思います。 そうなってから、わからないところをじっくり読み返しても遅くはありません。 パラレルワールドの1度じっくり考えて思考停止してしまっているよりは何かしらのことがわかっているはずです。

自分としてはじっくりと一冊の本をやる方が好きです。 でも今後しばらくはこの方法で読んでいこうと決めて読んでいます。
もし、最近手が止まってしまっているな という方がいらっしゃったらこの方法を試してもらえればと思います。